お餅の焼き方を調理器具別で解説!冷凍保存の方法やアレンジレシピもご紹介
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アニメや漫画など、日本には海外から注目される人気の文化が多くあります。
古くからあるものだと日本舞踊や武道や歌舞伎が挙げられますが、お寿司や天ぷらなど和食も外せません。
日本の文化で特に有名であるグルメの中でも今回は和菓子に注目し、その歴史を見ていきたいと思います。
意外と知られていない和菓子の歴史や魅力の解説から、美味しい和菓子を食べられる京都の名店までご紹介していきます。
もくじ
和菓子の発祥は、約15,000年前~約2,300年前頃の縄文時代に食べられていたお団子です。
縄文時代のどの期間からお団子が食べられていたのかまでは明確になっていませんが、おそらく定住化を始めた約11,500年前~7,000年前頃が濃厚なのではないかと言われています。
縄文時代に最初の和菓子が出てきてから明治以降にいたるまでの和菓子の変遷を、簡単に表にまとめました。
米の栽培や海外との交流によって、新しい和菓子が生まれていったようです。
縄文時代 | 最初のお菓子、お団子の誕生 |
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弥生時代 | 米を加工して作った餅の誕生 |
平安時代 | 唐菓子が日本に伝わる |
鎌倉~室町時代 | 饅頭が伝わる |
戦国~安土桃山時代 | スペイン、ポルトガルから南蛮菓子が流入 |
江戸時代 | 全国で様々な菓子が作られ和菓子が身近なものに |
明治以降 | 西洋の文化を取り入れ、更なる進化へ |
団子を食べる前の古代人にとって「菓子」は木の実や果物のことでした。
まだ食べ物が少ない時代だったので、お腹が空いたら木の実などを採取し空腹を紛らわせていたのでしょう。
こういった間食を菓子と呼び、本来は木の実や果物のことで甘味のことではありませんでした。
縄文時代になると石臼やこすり石などの道具が発展し、人々は食べ物を保存するということを覚え、果物を乾燥させたり、木の実を細かく砕いたりして保存するようになります。
くぬぎやどんぐりも食べていましたが、そのまま食べるにはアクが強く食べられません。
そこで知恵を絞り木の実を砕いて粉にしてアク抜きをし、丸めて熱を加えるなどしたことが団子の始まりといわれています。
ただし、そのような加工もしても甘くはならず、現代の団子の味とはかけ離れたものでした。
弥生時代には稲作が始まり、米が食べられるようになりました。
当時のことが記されてある書物『豊後風土記』によると、当時としては貴重であった米を加工して、日本最古の加工食品といわれる「餅」が誕生します。
当時では何よりも大切な米を原料としてつくられているわけですから、とても神聖なものとして祭事などに用いらていたようです。
海外との交流によって新しいお菓子が日本に持ち込まれ、日本の和菓子の歴史に大きな変化が起きます。
平安時代に唐から持ち込まれた「唐菓子」は米や麦、大豆、小豆などをこねたものを油で揚げた独特な形のお菓子で、貴族からの人気が高く祭祀用として扱われていました。
唐菓子によって日本における菓子へのイメージが大きく変化し、今につながる加工品としての菓子が始まったのです。
遣唐使によって海外との交流が盛んに!
飛鳥時代・奈良時代から平安時代にかけては日本から唐に派遣される遣唐使が実施され、唐(中国)との交流が盛んでした。
唐との交流が活発になった750年頃に砂糖が初めて日本にもたらされましたが、砂糖がない時代の甘味とはどういった菓子だったのでしょうか。
代表的な例では今でも買えるようなでんぷんを使った「飴」や、ツタの樹液を煮詰めた「甘葛」(あまづら)というものが砂糖の代わりとして使われていました。
清少納言は『枕草子』の中で、「あてなるもの(中略)削り氷に甘葛入れて新しき鋺に入れたる」と、今でいうかき氷に甘葛をトッピングして食したことを記しています。
鎌倉時代~室町時代には茶道や点心の文化が日本に入り、それに伴い饅頭や餅が多く食べられるようになりました。
点心は喫茶の風習の一つで、定時の食事以外の軽食のことを指し、麺や餅、饅頭類なども点心に含まれています。
この時代は間食としての菓子の文化が根付いた時代とも言えます。
茶道と点心は別々に日本に伝えられた
茶道:栄西禅師が鎌倉時代初期(1191年頃)に大陸からお茶を持ち帰り伝え、やがて喫茶の風が広がり、茶道が流行しました。
点心:中国から仏教の一派、禅宗が日本へ渡来するとともに日本に点心が初めて伝わってきました。
当時の饅頭は現在のようなものではなく、食事用の食べ物でした。
中身は今のようなあんこなどと異なり野菜や砂糖などが入っており、味噌風味のタレをつけて食べていたとされています。
饅頭が食事の際の主菜から菓子に切り替わったのは室町時代の末期ごろのようです
和菓子ではありませんが点心でよく食べられていたものとして「羹(あつもの)」という汁があります。
魚や鳥の肉、野菜などを入れたトロみのあるお吸い物です。
「羊羹」の字と同じですが、特にそれと関係があるわけではないそうです。
1543年、ポルトガル人やスペイン人により日本に流入された南蛮菓子もまた、和菓子の歴史に大きな影響を与えました。
海外から日本に伝わった上記のような食べ物の中でも、特に菓子は南蛮菓子として親しまれました。
1569年、宣教師のルイス・フロイスが織田信長に布教の許可を求める際に、金平糖入りのフラスコを献上したという話は歴史上でも有名です。
当時宣教師が日本での布教活動を行うためにお土産として持参したのが、南蛮菓子の始まりとなっています。
南蛮菓子は富裕層から徐々に日本へ浸透し、嗜好品として菓子を楽しむ文化の下地ができました。
安土桃山時代に日本にやってきた南蛮菓子が、現在でも食べられている和菓子の原型になります。
現代のお菓子といったら、甘いもの!という認識ですよね。
江戸時代、戦乱が止み平和になったころから日本で砂糖の供給が増え、日本のお菓子は飛躍的に発展していきました。
砂糖の供給が増えたのには、このころ中国やオランダから白砂糖の輸入が増加したのと、国内の黒砂糖の生産量が増えてきた背景があります。
後にこの国内生産を奨励したのが時代劇の暴れん坊将軍でも有名な八代将軍、徳川吉宗です。
各藩も独自の菓子開発を行ない、参勤交代の際にこうした名産菓子を将軍への献上品として持参しました。
この名産菓子が江戸を中心に人気を呼び、全国での菓子の開発や認知が加速していくきっかけとなったのです。
江戸では京都の雅な京菓子よりも大衆的なお菓子の方が人気がありました。
特に江戸では芝居や相撲といった娯楽が盛んで、そのお供として菓子が庶民に支持されたのです。
菓子が元禄時代に大きく発展し、江戸時代に入るに伴って様々な工夫を凝らした銘菓と呼ばれる人気の菓子も誕生しました。
現代にも続いている和菓子のほとんどが江戸時代に誕生したものとされており、起源を調べてみると歴史の勉強にもなるかもしれません。
日本にあるお菓子を「和菓子」と言うようになったのは、明治時代以降とされています。
それまでの日本のお菓子も南蛮菓子や中国菓子などの影響を受けていましたが、それに対して「和菓子」と呼ぶことはありませんでした。
しかし、明治になると西洋の文化が急速に伝わり、チョコレートやビスケット、ケーキなどが流入してきたのをきっかけに、それまで存在していたお菓子は「和菓子」と呼ばれるようになります。
明治期に海外から洋菓子が流入しなければ「和菓子」というジャンルも生まれませんでした。
お互いの文化をリスペクトしながらも様々な菓子の開発が続いた結果、お菓子と呼ぶだけでは日本古来のお菓子なのかそれとも西洋から来たお菓子なのかを区別するのが難しくなったのです。
そのために呼び名を分ける必要が生まれ、洋菓子と和菓子という2つのジャンルが生まれました。
西洋の文化は和菓子にも大きな影響を与え、特に調理器具は画期的な道具として迎え入れられます。
明治以降のオーブンの登場は、栗饅頭や焼き菓子類の多く生み出し、菓子にさらなる可能性を与えました。
そして、現在は伝統的な和菓子だけでなく、洋菓子などと組み合わせた、様々なフュージョン菓子が誕生するなど進化を続けています。
京都は国内外の多くの観光客で賑わう、日本文化が根付く歴史ある土地です。
最後に、日本の風物や歴史を感じられる京菓子とも呼ばれる京都の和菓子の名店3選をご紹介します。
①粟餅所 澤屋
②みなとや 幽霊子育飴本舗
③亀屋陸奥
北野天満宮前にある「粟餅所 澤屋」では、創業した1682年から守り続けられた歴史ある和菓子を楽しむことができます。
目玉商品である粟餅はあんこときなこの2種の味があり300円の追加料金を払えば抹茶もついてくるため、休憩スポットとして多くの観光客に親しまれています。
住所:〒602-8384 京都府京都市上京区紙屋川町838-7
アクセス:市バス「北野天満宮前」下車すぐ
定休日:木曜、毎月26日(日曜・祝日の場合は営業)
営業時間:9:00〜17:00頃(売り切れ次第終了)
公式サイト:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260501/26001539/
麦芽と水飴、砂糖からできた歴史深い飴を専門に販売しているのが、清水五条駅の近くにある「みなとや 幽霊子育飴本舗」です。
歴史は450年を超え現代では20代目となっており、過去の伝説にも登場した優しい甘さの飴を買い求める地元の方にも愛されるお菓子となっています。
幽霊子育飴の逸話
慶長4(1599)年頃、毎晩飴を買いに来る女性がおり、不審に思った店主が付けていくと墓場で女性の亡骸とともに生きた赤子がいたそうです。店主が赤子を助けたところ、女性は現れなくなったため「幽霊子育飴」と呼ばれるようになったといいます。そのとき助けられた子が後に立本寺(りゅうほんじ)の高僧になったことから、食べると出世する飴といわれています。
引用:レキシペリエンス
住所:〒605-0063 京都府京都市東山区轆轤町 東入ル西
アクセス:清水五条駅から505m
定休日:無休
営業時間:10:00~16:00
公式サイト:https://kosodateame.com/ame/
様々な種類の和菓子を販売しお土産としても愛されているのが、京都駅からのアクセスもいい「亀屋陸奥」です。
NHKで放送された大河ドラマ「真田丸」などにも登場する和菓子は当時兵糧として重宝されており、当時の味を現代でも楽しむことができます。
住所:〒600-8227 京都府京都市下京区菱屋町153番地
アクセス:京都駅より徒歩約15分※堀川七条交差点近く
定休日:水曜
営業時間:8:30~17:00
公式サイト:http://www.kameyamutsu.jp/
普段何気なく食べている和菓子ですが、その歴史を調べてみると、木の実や果物がもととなって始まっていたとは驚きですよね。
木の実から団子が作られ、稲作が始まり餅が登場し、その後も海外の文化から唐果物や南蛮菓子など様々なものが取り入れられ、今日の和菓子に繋がっていきます。
歴史ある和菓子は、その時々の文化などの影響を受け、進化発展し地域や季節を感じられる素晴らしい日本文化の一つになり、世界に誇れるものにまでなったと思うと感慨深いものがあります。
そして今もなお発展し続ける和菓子ですが、これから先もさらに進化発展し、和菓子の歴史が作られていくと思うと楽しみですね。
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